申命記 8:11〜20
「豊かになった時、神を忘れてはなりません」
ーみことばの黙想ー
聖書の神様だけを覚え、そのみことばに聞き従い、礼拝し続けるための秘訣が教えられている聖書箇所です。慢心、傲慢に気をつけて、どのようにして恵みに預かったかを忘れないことです。
11〜16節
主と共に歩むためには、気をつけるべきことがあります。それは、主のみことばを聞く姿勢を失わないようにすることです。
みことばを聞いても、きれいごとに感じたり、単なるスローガンや努力目標のように感じてしまってはいけません。みことばは、私たちの生活の現実です。
では、なぜ、みことばを現実から話して考えてしまうのでしょうか。生活が苦しい時は、神に頼ることしかできません。他に何もできないからです。しかし、神が祝福を与え、生活に余裕がある時には、神には頼らず、感謝もせず、あたえられることが当然にように勘違いし、神にではなく、与えられたものに頼ります。
最も大切なことは神に頼ることです。その神様は私たちを苦しみを通して訓練させることもあるが、その中で恵みを与えてくださり、ついには、見せかけではない、本当に幸せにしてくださいます。それは、私たちが自己中心的にもとめるものとは比べものにならないものですが、私たちは必ず滅びる一時的なもので満足しようとします。
今日、自慢に思うことは何ですか? 喜びが溢れることは何ですか? それ自体は悪いものではないからこそ、そこに罠があります。私たちの生活の楽しみの中で、神様を感じることのできないことがあれば、それは、気をつけるべきことです。
17〜20節
滅びや禍は、周りからもやってきます。しかし、状況や環境が悪くても、前向きな人もいます。ここに差があるのは、自分の問題です。自分が正しく歩んでいなければ、自分で滅びを招き入れることになります。むしろ、状況や環境は2番目の要因で、苦しみの根本的な原因の第一番目は自分にあると言えます。
問題があることが問題なのではなく、問題に対応する秘訣を知らないことが問題です。
今日、私は問題を解決できないことはたくさんもっていても、問題を解決するみことばを知らず、聞かず、守らないのであれば、自分では良いと思っても、霊的には苦しみを背負うだけの結果となってしまいます。
慢心、高慢で主を忘れず、主のみことばで導かれて今日まで生きてこられたことを忘れずに、主のみ言葉に聞き従う私たちとなりましょう。
ーみことばの適用ー
優越感、自慢できることは、髪から与えられた物だということをもう一度思いだし、謙遜にみことばに聞きます。今日も、みことばを読んで、1日を始めます。
ー今日の祈りー
私の心が主に向かい、態度が変えられ、言葉や行動の端々が神に感謝と栄光を捧げられるように助けてください。