申命記 11:1〜12
「救い主の御力を覚え、いつも命令を守りましょう」
ーみことばの黙想ー
申命記は主を愛すること忘れないように民に教えるために書かれたものです。主が何をされたかを知れば、なぜ、主のことを伝えなければならないかがわかります。主に頼る意義をわかちあいます。
1〜7節
1節のみことばは、申命記の書かれた目的が表現された1節です。新約聖書の時代に生きる私たちは律法を守る必要はありませんが、主を愛し、この時代において、主への使命を果たすということは、変わることのない真理です。
『神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。』
(Iヨハネ5:3)
当時のイスラエルの民にとって必要な務めと掟と定めと命令は、主の働きを直接体験したことのない世代に、主の働きがあってこそ自分たちがあることを、体験した本人たちが伝えることでした。これは、非常に驚くべきことでした。
今日の私たちにとっては、どういう意味があるでしょうか? それは、イエスさまによる救いを体験し、それをまだ知らない人に伝えることです。主を愛する人は、福音を証しし、伝道します。そして、伝えることのできるのは、福音を体験した人以外にはいないということを覚えておきましょう。
『しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。』(ローマ10:14)
8〜12節
イスラエルの民がこれから住むことになるカナンの地は、エジプトに比べれば、文明も、地理的条件も整ってはいませんでした。エジプトは農業技術や灌漑も発達しており、平地で農耕作にも適していました。一方、カナンの地は山地で、農業も天気に左右されることが大きかったのです。しかし、神に頼れるしかないところは逆に、神に頼れるという意味で霊的に良い土地であり、何よりも、神様が守るということを約束していることです。人の力には限りがあることを知る必要があります。
環境が私たちを幸せにするとは限りません。しかし、神様との親密な関係にある人は、環境を幸せに変えていく力が与えられます。なぜなら、全能なる主が目を留めてくださるからです。そして、何よりも霊的に新しいいのちをもって、生き生きとした歩みができるので、人生が価値あるものとなります。物質的に豊かでも、虚しい人生にならないように、主をまず、見上げましょう。
ーみことばの適用ー
自分の考えだけで効率的に生きるのではなく、まず、神に祈ります。人の理解を超えた知恵を与えてくださる神様にまず時間をささげ、神様から知恵をいただきます。
ー今日の祈りー
自分のわかることだけ満足して、分かった気になるのではなく、人の力を遥かに超えた主に頼り続けることができるように助けてください。また、このすばらしい、神様を伝えるものとさせてください。