申命記 24:1〜13
「配偶者と隣人に適用すべき義と愛の原則」
ーみことばの黙想ー
結婚についての規定と人との関わり合いに関する規定が記されています。
1〜5節
聖書的には、結婚とは、神様が定められたもので、人が作り出した仕組みではありません。ですから、結婚とは神聖なものです。安易に結婚するべきではありません。また、聖書的には性的な関係を持つことは結婚を意味します。結婚の責任を回避するために、結婚をしないで男女関係を持つことは不可能です。
残念ながら、現代においても、過去においても、これが厳密に守られることが難しいようです。それに伴い、数々の問題が生じ続けています。世が罪深いということです。
私たちが覚えたいのは、結婚も性的な関係も神様の前に恥ずかしい状況があれば、それは主が忌み嫌われていることです。だから、安易に結婚や離婚を考えていけません。
一方で、結婚が神に祝福されるものになるために、当人たちだけではなく、周りのものも配慮しなければなりません。新婚の家庭が安定できるように過度に義務を与えず、家庭が神の前に正しく歩めるように整える余裕を与えなければなりません。
神様の御国は家庭から始まります。
6〜13節
生活必需品の質での売買の禁止です。生活に困っている人から、搾取してはいけません。むしろ、助けるべきです。人は最低限の生活が守られるべきです。神の民が貧しさのために損なわれていけないからです。
人身売買の禁止です。当時は残念ながら、奴隷制度がありました。しかし、神の民は奴隷ではありません。神が自由を与えました。ですから、神が自由にされたものを人が勝手に奴隷にしてはいけません。神様はこれをイスラエルの民から始めて全ての人に広めようとされました。人は神様のもので、勝手に人が人の所有権を主張してはいけません。これは、主に反抗することです。
ツァラアトと呼ばれる神の裁きと考えられた皮膚病、もしくは皮膚以外の場所に見られる現象が起こった場合は、神に仕える祭司の言う通りに対処しなければいけませんでした。ツァラアトは神に従わないことにより、生じたと考えるんので、神に従うことによって、回復します。
モーセの姉ミリヤムでさえ、神がモーセに与えた権威に反抗したために、ツァラアトになり、神に従うことで、回復しました。私たちが主に立ち返ることを思い出しましょう。
人に何かを貸すときには、担保を取りに家に押し入ってはいけません。また、貧しければ、その日のうちに担保を返します。基本的に人格が傷つけるようなことを避けるべきです。
以上のことは、神様の宝の民であるイスラエルの民が、神の栄光を表すために規定されたものです。しかし、逆を考えると、人はこれらの規定がなければ、すぐに罪を犯してしまうものであり、この規定も守れないことから、どれだけは人は罪深いものかを考えざるを得ません。
私たちは、随分と罪深いものであることを覚え、主の前に悔い改めて、神の栄光のために、神の最高の創造である人を愛し接するものでありましょう。
ーみことばの適用ー
社会常識よりも神の義を考えて、神の栄光を表すことを考え人に接します。
ー今日の祈りー
自分の欲と利益を中心として生きるのではなく、神様の前に喜ばれるものとさせてください。