申命記 33:1〜17
「契約に基づいた惜しみない祝福」
ーみことばの黙想ー
イスラエルの12部属に対するモーセの祝福が記されています。
モーセの祝福を通して、神様の愛と恵みを分かち合います。
1〜7節
モーセが神がもろもろの民を愛する方だとし、民のかしらがイスラエルの部族とともに集うとき、主がエシュルン(愛おしいもの、イスラエルの別名)で王となられると主を賛美します。
一見、イスラエルの民だけのことのようにも思いますが、よく見ると、5節では「民がイスラエルの部族とともに集まったとき」と書いてあるので、この「民」と「イスラエルの部族」は区別されているようにも読めます。つまり、イスラエルの民とともに、他の民が集まるとき、人々は罪から解放され、真に愛おしいものとして回復し、神の国が地上において完成するというビジョンを賛美しています。ことの時はまだ、イスラエルがまず最初のモデルでメインですが、イスラエルを祝福の通り管として用い、すべての民が祝福されることを示唆しています。これは、後のイエス・キリストを示すものです。
ですから、現在、キリストとともにあるクリスチャンも祝福の通り管となるべきです。
ルベン族とユダ族に対するモーセの祝福が記されています。これらの12部族への祝福はかつて、その祖先である12人の息子たちを父ヤコブ(イスラエル)が祝福している内容(創世記49章)と対比されます。それを見ると、父ヤコブの時よりも総じて、明らかに祝福の内容が改善していることが受け取れます。また、順番に変化もみられます。
まず、長子であるルベンですが、ヤコブの時は、父を辱めた罪の言及がされますが、モーセの時は、繁栄までは行かないまでも滅びることなく続く永続の祝福を与えられます。
続いて、ユダについての祝福が語られます。ヤコブの時は、ユダから王があらわれる祝福がモーセは、自分の力で戦わず、神に従うときに勝利する祝福を与えています。ルベンは長子だから最初に順番が来るのはわかりますが、ヤコブの時と比べて、兄のシメオンやレビの子孫よりも早く祝福を受けます。これは、ユダからイエスが出てくる特別な祝福とかつて兄たちがした罪によるものかと思われます。
8〜17節
レビ族とベニヤ民族、ヨセフ族への祝福が記されます。
モーセの祝福では、シメオン族への祝福は省略されています。モーセの時もレビとシメオンは一緒に記されていて、彼らは、自分たちの妹が辱められたことに対する怒りを制することができず、争いを引き越し、祝福を受ける時にも関わらず、呪いを受けていました。しかし、モーセの時は、レビを神に仕え、神の導きを伺い、民からのささげ物を主に前に捧げる役割を任せ、財産の祝福までも与えられました。
次にベニヤミンです。一番末っ子が登場します。ヤコブの時、略奪するものとして表現されますが、モーセの時は主のそばに住まい、主の背中に背負われるとあります。これは、後に、ベニヤミン族は士師記で内戦により滅びそうになるが、王国の時代にユダとともにいることになることに理由がありそうです。順番が早くなっているのも意味を感じます。
今日の最後はヨセフです。ヨセフはヤコブの時もモーセの時も、富、子孫、威厳の祝福があります。これは、ヨセフの功績によるものです。
主はこれらの祝福を、これから神のことばに従い切れないとわかっている民に与えられます。主の愛の大きさとその忍耐、また、恵みに感謝しましょう。
ーみことばの適用ー
神様が私たちが未熟なのにも関わらず、祝福してくださることを覚え、今日も謙遜にすべきことに取り組みます。
ー今日の祈りー
主よ。あなたの恵みがあることを忘れないものとさせてください。自分の力だけで生きるおころかさを忘れず、主に感謝できるようにさせてください。