申命記 5:12〜21
「安息の恵みによって隣人を愛しましょう」
ーみことばの黙想ー
モーセが神様から受けた律法を代表する十戒の第4戒から第10戒までが記録されています。これは、神が与えた十戒を民が忘れないように教えている部分です。
12〜15節
十戒というのは、守り切ることは人の力ではできないし、これを形ばかり守ったからと言っても、本当に守ったことにはならず、結局、罪の問題は解決できません。しかし、十戒は主の想いであるのはまちがいありませんから、これを学ぶことは有益です。
十戒の本質は、後にイエス様が教えておられるように、神を愛し、隣人を愛するという愛です。十戒をとおして、悔い改め、イエス様の愛を思い、伝えましょう。
第4戒は、安息日を守って聖なるものとすることです。安息日のポイントは主を覚えることです。仕事をしないことが本質ではありません。ただし、何かのついでに主を思い出すのは中心がずれています。自分の生活を置いて、主を大切に思い出すということです。
労働は、創世記によれば、罪の結果、苦しいものになりましたが、主を思い出せば、その性質は、恵みにかわります。強制的にさせられる奴隷のようなものではなく、自由が与えられ、休みのめぐみの中ですることができ、主をおぼえることができます。
16〜21節
第5戒は、父母を敬え。これは、父母に権威を与えられた神様の権威を認めることです。また、他方、父と母は敬われることで、愛を感じるようです。敬うことと服従することには差があります。父母が主に逆らうことではなければ、彼らが言うことには耳を傾け、父母が主を知らなければ、主を伝えましょう。父母が主に逆らっていれば、主のことばを伝えましょう。ただし、どんな父母でも敬う心は忘れてないようにしましょう。
第6戒、殺してはならない。いのちは神のもので、自分のものでも、その人のものでもありません。ただ、預かっているものです。また、いのちを大切にすると人は愛をかんじます。
第7戒、姦淫してはならない。男女の肉体関係は、夫婦に置いて祝福されるものです。夫婦の関係でも愛をもっていてこその祝福です。つまり、相手を自分のように思うことです。自分本位に陥ってはいけません。姦淫がなければ、愛は本当に深まります。
第8戒、盗んではならない。主はわたしの必要を知っておられます。盗むことは、その主を馬鹿にし、人に害を与える自分本位の行動です。盗むのではなく、与えましょう。
第9戒、隣人について、偽りの証言をしてはならない。うそをつかない。主は真実な方です。だから、主を愛するものは真実を尽くすことで主に栄光を返すことができます。また、人は真実を尽くすことで愛を感じるものです。
第10戒、欲しがってはならない。最後は、こころの欲望に対しての戒めです。罪の原因は必要以上に欲に駆られることです。主が与えてくださることに感謝をし、欲しがるのではなく、与えるものとなることは祝福で、多くのひとが愛を感じるでしょう。
ーみことばの適用ー
自分の生活が神と人を愛するためか確かめ、示された事を改善し、主に頼っていきます。
ー今日の祈りー
主の思いどおりに生きていないわたしをお許しください。しかし、主の恵みで、こんなわたしでも、成長させてくださることを信じます。今日もわたしを主のために用いてください。