[QT一言アドバイス] 2020年5月5日(火)

申命記 13:12〜18
「共同体の悪を聖絶する、主の目のにかなう従順」

ーみことばの黙想ー
偶像礼拝に対する警告、神だけを礼拝することを詳しく説明する聖書箇所が続いています。
私たちの罪の重さと礼拝の大切さをわかちあいます。

12〜16節
神を知らない人が圧倒的に多い地域に生きている私たちにとって、偶像や異端との戦いは続いています。神以外を礼拝することは、根源的な問題で、罪そのものと言って良いものです。これは、人の歴史上ずっとあったことで、いまだかつて、偶像礼拝を人が住む世から取り去ることはできていません。それは、イエスの再臨の時まで続くと考えられます。
ただし、だからといって、偶像礼拝を容認したり、これと霊的な戦いをすることを避けてはいけません。偶像礼拝の誘惑をするようなこと、神を礼拝することを妨げようとすることとは、徹底的に立ち向かっていく必要があります。
私たちは自分たちの罪を軽く見積もりがちです。みんなしているのだから大丈夫。これぐらいは常識だと思いながら、偶像礼拝や、神を礼拝することを軽くみてしまいます。しかし、これらは神の目には、非常に重い反逆であり、罪そのものです。
飲み水に一滴でも毒や汚れが入るなら、その水は体を害するものに変わります。この例えもまだ軽いでしょう。実際には罪は私たちを確実に滅ぼすことのできるものです。
これらの間違った礼拝の要素を正確に取り除くために、よく調査する必要があります。その調査は自分自身から始めましょう。

17〜18節
私たちが神様に従順するときに、気をつけなければならない要素が中途半端に従うことです。従うことを受け入れたなら、徹底して従えば良いのですが、主のみこころでもないことを自分勝手に判断して、これまで、従ったことを台なしにしてしまうようなことがあります。
「その聖絶の物は、一部でも、あなたなの手の中にとどめることがあってはならない。」とのみことばの通り、私たちの生活、家族、教会など、自分の身の回りから、偶像礼拝の要素を取り除きましょう。
律法的に全て排除できているか、分からないと思うかも知れません。主は悔い改めの恵みを与えてくださっています。そして、主は私たちに聖絶すべきものがあれば、示してくださるとしんじます。ですから、示されたときに、捨てるべきものを捨てましょう。今日がその良い機会です。

ーみことばの適用ー
私たちが神様だけを礼拝することを妨げているもの、気付いていなかった偶像礼拝を取り除きます。今日、自分の何気ない習慣を見直す日にします。

ー今日の祈りー
神様が具体的に教えてくださっている警告を感じ取り、偶像礼拝の要素を取り除くことができるようにたすけてください。また、私の身の回りの人たちにもそれができるように、知恵を
与えてください。