申命記 25:11〜19
「不当な行いを禁じ悪と戦いなさい」
ーみことばの黙想ー
二人の人の争いに妻が手助けとして介入したときの規定、不正な基準をもたない規定、アマレクに勝利したとき、主に従い、約束の地に完全に入れたときには、アマレクが完全に滅ぼされることを覚えておかなければいけないという聖書箇所です。
11〜16節
今日の聖書箇所を理解するために覚えておかなければならないことは、神様がイスラエルの民を通して、神の国のモデルを表そうとされていることです。神の国の民を増し加え、主に従い、住むべき場所を与えようとしておられるということです。これは、天国の影です。
さて、その上で、夫を助けようとした妻が厳しく罰せられることに対して、疑問を持つかもしれません。しかし、そのように罰せられるのは、争いの中において、生殖器官を攻撃した場合です。その場合、たとえ些細な争いであっても、それによって神の民が損なわれる事がないようにしたのです。
また、神の国に不正や基準が二重であってはいけません。モデルとして神の国を表そうとしているイスラエルの民で不正がまかり通れば、それは、神の国は正しさではなく、不正がまかり通るように示してしまう事です。神の国に不正があるはずもないので、これは、神の国の栄光どころか、それを汚すようなものです。
これらのことは神さが忌み嫌われるべきことだということを覚えておきましょう。
17〜19節
アマレクというのはイスラエルの民がまだ、出エジプトしたばかりの時代に、戦った民族です。この戦いの様子は、出エジプト記17:8〜16に記されています。アマレクと戦うとき、モーセは神の杖を手に、手を高く上げておくときは、イスラエルが勝ち、手を下ろすとイスラエルが負け気味になりました。そこで、アロンとフルがモーセの手を支え、ヨシュアに率いられたイスラエルの民がアマレクに勝利しました。そこでも、今日の箇所と同じ宣言がなされ、アマレクの記憶が世界から取り去れるということでした。
アマレクはイスラエルの民に敵対しました。その結果、滅びを招き入れます。彼らにも、自分たちのなりの正義があったでしょう。しかし、結果としては、神に反抗してしまいました。イスラエルの民が勝てた理由はその逆で、神に従ったからでした。覚えておくべきは、たとえ、イスラエルの民でも主に従わなければ、裁きがあるということです。
主を恐れるものでありましょう。
ーみことばの適用ー
自分が思う正しいことではなく、神様に従うことの大切さを覚えます。
ー今日の祈りー
自分たちが神様を恐れ、自分の利益を追求する正義ではなく、神の御心を求められるように助けてください。