申命記 26:1〜11
「最高のものを下さった救い主に初物によって最上の感謝を」
ーみことばの黙想ー
申命記も後半部分に来ています。神は人を罪から救い、神のみこころがなされる神の国の回復をしようとされています。そのはじめとして、イスラエルの民を選び、土地を与えようとし、神をおそれ従う祝福を示されました。まだ、これらの神の国の実現はイエス・キリストを待たなければなりませんが、旧約聖書における神の国の祝福の約束、子孫、土地、そして、神を恐れるものを祝福するアブラハムの契約に対して、一時的な結論を表していきます。
1〜4節
神様はイスラエルの民にいよいよ、これから土地を与えようとされます。土地が与えられれば、農耕作する事ができます。収穫は土地が与えられたことを実感できる瞬間でもあります。
これまでのイスラエルの民はマナを食べ、荒野で水を得ていましたから、日々の食事から神によって生かされていることを実感できました。しかし、土地を与えられて、穀物を育てる事ができるようになったのも、神が導いてくださったからなのですが、普段、人が収穫のために作業をすると、あたかも自分たちが成し遂げたように感じてしまいます。例え、熱心に働いても、主が実りを与えてくださらなければ、収穫までも辿り着けないのに、神を忘れてしまいがちで、しかも、貧富の差も起きやすくなります。
だから、この土地に入り、神の収穫の初物の一部は、神のみこころの通りに、神が指定される場所で主に捧げ、主が成し遂げてくださったことを忘れず、むしろ感謝を捧げるのです。
5〜11節
神は、エジプトにイスラエルが行ったときは70人でしたが、神様は約束の通り、イスラエルを祝福してくださって、エジプトを出るときには、男だけで60万人、民全体では200万になろうかというほど、民を増し加えてくださいました。
人が支配する国の束縛から神の支配される国へと自由と解放を与えられました。これは、偶像、罪、人の力から抜け出して、唯一なる神、きよさ、神の力に頼るものとされました。
そして、与えられた地で、収穫を得て、それを捧げ、主を礼拝します。主が成し遂げられたことを宣言するためです。
そして、捧げられたものは、祭司であるレビ人や外国人である寄留者など生活基盤が弱い人たちも皆、すべての民が喜べるように恵みを分かち合います。
私たち、普段の生活から、まず神を第一としましょう。そして、神に初物を捧げましょう。私たちが得た初物は自分の努力の結果以上に神によるものが大きいことを覚えましょう。そして、まだ、神様を知らない人も神の前で喜べるように用いましょう。
ーみことばの適用ー
主を覚え、主にささげ物をし、主を信じ喜べる人が増し加えられるように努めます。
ー今日の祈りー
神様、私の生活の中で、ささげ物も、言動も神様の素晴らしさを表すものであるように助けてください。