申命記 29:10〜21
「すべての人の神、すべての世代に与えられた契約」
ーみことばの黙想ー
神様がイスラエルの民のみではなく、イスラエルの宿営のうちにいる外国人に至るまで、それらの人々を含めて主が約束をされています。また、約束はその場にいない者までも含んでいくように話されます。すべての人に対して与えられた神の約束があることを覚えて、恵みを分かち合います。
10〜13節
神様が結ばれた約束は、単にイスラエルの民に限定されているものではなく、イスラエルの宿営にいるすべての人に適用されます。この約束はアブラハムの契約に基づくものであり、すべての人に与えられた神の祝福であると考えることができます。
神様はすべての民をご自分の民として回復し、神だけをあがめるようになることを回復しようとされました。
覚えておきたいことは、神は私たちと契約を結んでくださり、私たちに救われる希望を与えてくださっていますが、一方で、のろいの誓いも置かれました。主は基本的には人を救おうとなさっていますが、人があまりに逆らうならば、懲らしめられることを聖書は否定していません。
ですから、神の言葉を正しく理解していくことが重要で、理解する以上にそれに従うものとなることがさらに重要です。
神がなさっていることが手本となるなら、自分だけが救われていくことを望むのではなく、神に属するものが一人でも増し加えられるために、主に忍耐をもって仕えるべきです。
14〜21節
神様は、私たちのことを、自分で考える以上によくご存知です。これを忘れてはいけません。神様は、私たちの心の動きさえも、よく見られています。その心で、神以外のものを拝んでいたり、自分勝手に生きても大丈夫だと自分中心的な考えを持っているものを見逃しません。
神様は決して、神様が忌み嫌われることを放置されたりしません。祝福の約束がすべての人に及ぶように、主の裁きやこらしめもすべての人に及んでいきます。特に、主と交わっている民には一層よく見られていると考えるべきです。そして、この約束は、その場にいたものだけではなく、いないものたちさえも含んでしまう約束です。
私たちは自分の心が神に向かうように、聖霊様に助けを求め続ける必要があります。人の力ではできないからです。なぜなら、自分たち自身では、葉や茎は取り除くことができても、その毒草や苦よもぎの根までは取り除くことができないからです。
ーみことばの適用ー
神の救いの約束を与えてくださることに感謝を捧げつつ、謙遜に、傲慢な思いをすて、自分を正当化するのではなく、悔い改めるようにします。
ー今日の祈りー
主よ。私の心が主に向くように、助けてください。また、すべての世代と民が主の名を賛美する時がきますように祈ります。