[QT一言アドバイス] 2020年5月15日(金)

申命記 18:15〜22
「まことの預言者を見分ける基準」

ーみことばの黙想ー
王、祭司に続き、預言者に対しての教えが続いています。主のことばを正しく語られていくことの必要性を黙想し、恵みを分かち合います。

15〜18節
まず、覚えておきたいことは、まことの預言者はイエス・キリストです。15節で語られている一人の預言者というのは、この当時の人たちにはまだ隠されていたことですが、イエスのことです。
神の栄光が人々にはあまりに聖なるものなので、そのきよさに触れれば、自分の罪もろとも滅びてしまいそうな現実に対して、神はもっともだと答え、人としての預言者をおくられます。しかし、イエスは人であり、神であられるので、「あなた(モーセ)のような一人の預言者」と表現されてはいますが、モーセよりもはるかに優れた方です。
神の命じる全てのことはこの預言者(イエス)から語られていきます。だからこそ、みことば を読み聞くことは非常に重要です。神の御心が一番正確にはっきりと語られているのはみことば だからです。
日々、みことば を聞き、受け入れることを疎かにしてはいけません。はっきりと主の御心を知るにはみことば が一番だからです。

19〜22節
神様は、私たちに伝えていないのではなく、神の御心を伝えています。問題は私たちがそれを聞き入れるかどうかです。神のみことば を聞き入れないものには、その責任が問われることになります。
私たちは、みことば を何となく、聞き流してしまうかもしれません。しかし、その責任は必ず自分に帰ってきていることを知りましょう。罰というよりも、むしろ、神様からの恵みを受けることができなくなります。福音のみことば を受け入れなければ、罪から救われることはありません。主のことばに聞き従うことは本当に大切です。
本当の預言者は、イエスお一人ですから、その意味では、他の預言者は必要ないわけですが、このイエスに導くために、多くの預言者が用いられたのも聖書的事実です。預言者は主が語れと言われたこと以外のことを神の名によって語ってはいけません。偽預言者の語ることは、本質的に実現しません。そして、人は間違うこともあるかもしれませんが、イエス様は間違えません。からなず、人をお救いになり、いずれ再び来られます。世の人が様々なことを言いますが、少なくとも、主にある預言者は、イエスを語り、聖書のみことば を伝えます。それを少しでも否定する者の言葉は聞く価値がありません。見分けるためには、普段からみことば に親しむ必要があるでしょう。

ーみことばの適用ー
神様のみことば を軽々しく用いません。けれども、いつも身近に親しむようにします。神の名によって語る偽りのことばがあっても、イエスのことばの意味を踏まえ、見極め、信仰が揺れ動くことのないようにします。

ー今日の祈りー
もっと多くの人がみことば に親しみ受け入れますように。みことば を語る人に神様の御心がそのまま伝えられるように祝福してください。自分自身もみことば を伝える者とさせてください。

[QT묵상 가이드] 2020년5월14일(목)

신명기 18:1~14
“헌신된 사역자를 돕고 가증한 이들을 물리치라”

-말씀 묵상-
장막, 성전, 예배, 의식 등 하나님을 섬기기 위해 택함 받은 레위 지파에 대한 가르침이 기록돼 있습니다. 주께 봉사하는 것을 묵상하며 어떻게 하나님을 섬기며 나아가야 하는지 나눠봅시다.

1~8절
레위 지파는 영토를 분배받지 못하는 대신 주께 바쳐진 제물 가운데서 나누어 받습니다. 주의점으로는 그 주어진 것들이 자신에게 나누어진 것이므로 그것에서 떼어 하나님께 드립니다. 레위 지파라도 제물의 의미는 기본적으로 다른 부족들과 같습니다. 레위 지파의 기업은 토지가 아니라 하나님이십니다. 토지를 관리하는 것에서 해방되었기에 주님의 사역을 할 수 있습니다.

이러한 주께 드린 것들이 주어진 것은 주님의 이름으로 봉사하기 위함입니다(5절). 또한 주님을 위해 봉사하는 자는 하나님께 택함 받았습니다. 그리고 관리해야 할 토지가 없으니 그들은 특정한 장소에 계속 얽매이지 않고, 주께서 말씀하시면 어디라도 갈 수 있으며 그곳에서 주를 섬길 수 있습니다. 단, 어디에도 자유롭게 갈 수 있다기보다 주께서 택하신 곳에 간다는 뜻이며 자기 멋대로가 아니라 하나님의 마음에 따라 움직여야 합니다.

그렇다면 현대에 레위 지파 같은 역할을 하는 것은 누구일까요? 물론 교회의 목사나 전도사, 선교사 같은 분들은 그런 이미지가 있습니다. 그러나 그 이상으로 넓게, 예수님을 믿는 사람들이 그런 자라고 할 수 있습니다. 예수님을 믿는 자가 예수님을 예배하는 것을 전할 수 있습니다. 그리스도인에게 있어서 최고의 상속은 하나님과 함께 있는 것입니다. 그것은 이 세상의 부요함과는 다릅니다. 이 세상의 부는 일시적이지만 하나님이 주시는 은혜는 영원합니다. 덧붙여, 하나님은 이 세상에서도 필요를 채워주시는 분입니다. 그 이상으로 하나님과 함께 있는 것에는 가치가 있습니다. 또한 우리는 주께서 지명하신 장소에 나아가 주를 예배할 수 있도록 해야 합니다. 오늘, 주께서 인도하시는 곳이 직장, 가정, 선교지, 이웃집 등 어디든지 주님께 드리는 예배가 회복될 수 있도록 헌신해야 합니다.

9~14절
하나님께 사람들의 마음을 향하게 해야 할 자가 우상숭배나 주께서 영적으로 싫어하시는 일을 해서는 안됩니다. 왜냐하면 제사를 드리는 자가 그런 일을 하고 있다면 사람들의 마음이 하나님이 아닌 다른 것을 향하게 하기 때문입니다.

명확히 우상숭배라 할지라도 그것을 끊어내는 것에는 그 나름대로의 영적인 분별력과 각오가 필요합니다. 그러나 현대 사회에서는 주께서 싫어하시는 풍습이 무엇인지 알기 어려운 때도 있습니다. 기본적으로 하나님의 말씀이 아닌 다른 말에 좌우되어 살아서는 안됩니다. 이 세상에는 여러 말들이 넘쳐나지만 주님의 마음에 합한 것인지 아닌지를 잘 분별하고, 그렇지 않다면 지혜로 그것을 제거합시다.

-말씀 적용-
세상이 불완전한 때에, 많은 사람이 세상의 말로 불안해지고 타인에게 상처를 주게 됩니다. 주님의 백성은 말씀과 하나님의 사랑으로 인해 불안이 아닌 평안을, 탐욕이 아닌 섬기는 마음을 나누며 실천합시다.

-오늘의 기도-
오늘 나의 삶의 방식마저도 사용하셔서, 조금이라도 하나님께 마음을 돌리는 사람이 일어날 수 있도록 도와주세요.

[QT一言アドバイス] 2020年5月14日(木)

申命記 18:1〜14
「献身した働き人を助け、忌み嫌うべき者を退けましょう」

ーみことばの黙想ー
幕屋、神殿、礼拝、祭儀など神に仕えるために選ばれたレビ部族についての教えが書かれています。主に奉仕することを黙想し、今日において、どのように神に仕えていくべきかを分かち合います。

1〜8節
レビ族は自分の領地は与えられることがなく、その代わり、主への捧げ物の中で性格していくことになります。注意点としては、その与えられた物が、自分に割り当てられた物だから、その割り当てられたものから、神に捧げます。たとえ、レビ部族でも、捧げ物の意味合いは基本的に他の部族と同じです。レビ部族の相続地は土地ではなく、神ご自身です。土地を管理することから解放されているので、主の働きに従事することができます。
これら、主に捧げられた物が与えられるのは、主の御名によって奉仕するためです(5節)。また、主のために奉仕をする者は神によって選ばれています。そして、管理すべき土地がないことから、彼らは、特定の場所にずっと縛られることなく、主が示されるなら、どこにでも行け、そこで、主に仕えることができます。ただし、どこにでも自由に行くと言うよりは、主が選ばれる場所に行くという感覚で、自分勝手に動くのではなく、神のみこころによって動くということです。
さて、現代において、レビ部族のような役割を果たすのは誰でしょうか? もちろん教会の牧師や伝道師、宣教師といった方々はそういうイメージがあります。しかし、それ以上に広く、イエスを信じた人がそうだとも言えます。
イエスを信じた人がイエスを礼拝することを伝えることができます。クリスチャンにとって、最高の相続は、神ご自身とともにいることです。それは、この世の富ではありません。この世の富は一時的ですが、神がくださる恵みは永遠です。ちなみに、神はこの世においても必要を満たしてくださると思います。それ以上に、神とともにいることには価値があります。また、私たちは主が示された場所に出て行って、主を礼拝できるようにします。
今日、主が導かれる場所が、職場、家庭、宣教地、友人宅などいずれであれ、主への礼拝が回復していくことのために、仕えていくべきです。

9〜14節
神に対して、人々の心を向けるべき者が、偶像礼拝や主が霊的に嫌われることをしてはいけません。なぜなら、それを祭儀を行う者がしていれば、人々の心が、神とは別の何かに向いてしまうからです。
明らかな偶像礼拝であっても、それを断ち切るにはそれなりの霊的な分別力と覚悟が必要となるでしょう。しかし、現代社会においては、主が忌み嫌う習慣が何であるのかが分かりにくい時もあります。基本的に、みことばにではく、他のことばに左右されて生きてはいけません。世には様々な言葉が溢れていますが、主のみこころにか合うものかどうかをよく分別し、主のみこころに沿わない物を、知恵を持って取り除きましょう。

ーみことばの適用ー
世が不安定な時、多くの人が世の言葉で不安になり、人を傷つけてしまいます。主の民はみことばと神の愛で、不安でなく平安を、むさぼりではなく仕える心を分かち合い、実践します。

ー今日の祈りー
今日、私の生き方さえも用いて、少しでも、神様に心を向ける方が起こりますように。