[QT一言アドバイス] 2020年4月29日(水)

申命記 11:13〜21
「愛をもって主に仕えるなら、すべての必要が満たされます」

ーみことばの黙想ー
私たちが何をもって豊かさと言えるか、また、その豊かさの秘訣とは何かについて黙想できる聖書箇所です。

13〜17節
神様を主として愛し、仕えるということが引き続き説かれています。
なぜ、それほどまでに、神様に聞き従うことが重要かというと、私たちに命を与え生きのに必要な物を与えてくれているのは、神様だからです。
しかし、神を信じたからといって、今日の食べ物が与えられるわけではないと考える人も多いでしょう。祈ったり、礼拝や早天祈祷を捧げたりすることなど無意味で、その時間があれば、休んだり、楽しいことをした方が意味あると考える人もいるでしょう。
しかし、一方で、より良い生活、より多くの物を所有することを追求し続けても、それが果たして、こころに喜びがあり、生きている意味を実感していけることでしょうか? 私たちは多くの物を所有し、汗水流して必死で働いて、そして朽ちていくだけでは、あまりに虚しい人生とも言えるでしょう。
本来、私たちは、神様の喜びであり、神が与えてくださる恵みを喜ぶことによって、さらに神に栄光が神にかえるようにされています。
『神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。』(エペソ1:5~6)
私たちは、自分の力で生きようとされますが、実は神様が望まれるのは、神の子となることです。もし、私たちが神がいないと思うなら、自分で生きるしかありません。しかし、その人生の結末はどんなに華麗な人生であっても、虚しくなります。一方、神を信じるなら、神の子となるべきです。

18〜21節
私たちには、私たちを愛し、生かしてくださる神様がいることを知ることが本当の豊かさです。なぜならば、主は私たちを愛してくださるので、必要はもちろんのこと、それ以上に生きる希望とその意義を知る喜びがあります。
私たちが、神を忘れ、決して満足できない霊的な貧しさに陥らないようにしましょう。
しかし、私たちは忘れやすい者です。主は恵みによってみことば を与えてくださいました。みことば は変わることがありません。だから、これを忘れないように、普段から親しみ、また、伝えます。そうしなければ、忘れてしまうからです。
神に喜ばれる愛された子であることが私達の幸せです。だからこそ、霊的な父である神のことばを聞き、従う者でありたいと願います。

ーみことばの適用ー
今日、私は何に一生懸命になっていて、なぜそうしなければいけないかを見直します。また、みことば を読み、今日本当に熱心になることが何であるかを悟り、小さなことからでも従います。

ー今日の祈りー
私が、主が与えてくださるものよりも、霊的なお父さんそのものを喜び、その声が聞きたくて、お父さんに喜ばれる子として歩めるように助けてください。

[QT묵상 가이드] 2020년4월28일(화)

신명기 11:1~12
“구원자의 능력을 기억하고 명령을 항상 지키라”

-말씀 묵상-
신명기는 백성들이 주님을 사랑하는 것을 잊지 않도록 가르치기 위해 쓰였습니다. 주가 무엇을 행해주셨는지를 알면, 왜 주님을 전해야 하는지를 알 수 있습니다. 주를 의지하는 것의 의의를 함께 나누고자 합니다.

1~7절
1절의 말씀은 신명기가 쓰여진 목적이 표현된 구절입니다. 신약 성경 시대에 살고 있는 우리는 율법을 지킬 필요가 없지만, 주를 사랑하고 주를 향한 사명을 다한다는 것은 이 시대에도 변하지 않는 진리입니다.
“하나님을 사랑한다는 것은 바로 그분의 계명을 지키는 것입니다. 그분의 계명은 부담스러운 것이 아닙니다(요한일서5:3)”

당시 이스라엘 백성들에게 필요한 규례와 법도와 명령은, 주님의 사역을 직접 체험하지 못한 세대에게 ‘주님의 사역이 있기에 자신들이 존재한다는 것’을 경험한 자들이 전하는 것이었습니다. 이것은 굉장히 놀라운 일이었습니다. 이는 오늘을 살아가는 우리에게 있어서는 어떤 의미일까요? 바로 예수님으로 인한 구원을 체험하고, 아직 모르는 자들에게 그것을 전하는 것입니다. 주를 사랑하는 사람은 복음을 증거하고 전도합니다. 그리고 전할 수 있는 것은 복음을 체험한 사람 밖에는 할 수 없다는 것을 기억합시다.
“그런데 그들이 믿지 않는 분을 어떻게 부르겠습니까? 듣지도 못한 분을 어떻게 믿겠습니까? 전하는 사람이 없이 어떻게 듣겠습니까?(로마서10:14)”

8~12절
이스라엘 백성들이 살게 될 가나안 땅은 애굽에 비하면 문명도, 지리적 조건도 갖춰지지 않은 곳이었습니다. 애굽은 농업기술과 관개도 발달돼있고 평지인데다 농경작에도 적합했습니다. 한편 가나안 땅은 산지였고 농업도 날씨에 크게 좌우되었습니다. 그러나 하나님을 의지할 수밖에 없는 곳은 반대로 하나님을 의지할 수 있다는 의미에서 영적으로 좋은 땅이며, 무엇보다도 하나님께서 지켜주신다는 약속이 있습니다. 사람의 힘에는 한계가 있음을 알 필요가 있습니다.

환경이 꼭 우리를 행복하게 한다고 할 수 없습니다. 그러나 하나님과의 친밀한 관계 속에 있는 사람은 환경을 행복하게 바꿔나갈 힘이 허락됩니다. 왜냐하면 전능하신 주님이 눈여겨 봐 주시기 때문입니다. 또한 무엇보다 영적으로 새로운 생명을 가지고 생명력 있게 행할 수 있으므로, 가치 있는 인생이 됩니다. 물질적으로 풍성할지라도 허무한 인생이 되지 않도록 먼저 주님을 바라봅시다.

-말씀 적용-
내 생각만으로 효율적으로 사는 것이 아니라 먼저 하나님께 기도하겠습니다. 사람의 이해를 뛰어넘는 지혜를 허락해주실 하나님께, 먼저 내 시간을 드리고 그 시간에 허락하신 지혜를 받도록 하겠습니다.

-오늘의 기도-
내가 아는 것에만 만족하고 아는 척 하는 것이 아니라, 사람의 힘을 훨씬 뛰어넘는 주께 계속 의지할 수 있도록 도와주세요. 또한 이렇게 위대하신 하나님을 전하는 자가 되게 해주세요.

[QT一言アドバイス] 2020年4月28日(火)

申命記 11:1〜12
「救い主の御力を覚え、いつも命令を守りましょう」

ーみことばの黙想ー
申命記は主を愛すること忘れないように民に教えるために書かれたものです。主が何をされたかを知れば、なぜ、主のことを伝えなければならないかがわかります。主に頼る意義をわかちあいます。

1〜7節
1節のみことばは、申命記の書かれた目的が表現された1節です。新約聖書の時代に生きる私たちは律法を守る必要はありませんが、主を愛し、この時代において、主への使命を果たすということは、変わることのない真理です。
『神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。』
(Iヨハネ5:3)
当時のイスラエルの民にとって必要な務めと掟と定めと命令は、主の働きを直接体験したことのない世代に、主の働きがあってこそ自分たちがあることを、体験した本人たちが伝えることでした。これは、非常に驚くべきことでした。
今日の私たちにとっては、どういう意味があるでしょうか? それは、イエスさまによる救いを体験し、それをまだ知らない人に伝えることです。主を愛する人は、福音を証しし、伝道します。そして、伝えることのできるのは、福音を体験した人以外にはいないということを覚えておきましょう。
『しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。』(ローマ10:14)

8〜12節
イスラエルの民がこれから住むことになるカナンの地は、エジプトに比べれば、文明も、地理的条件も整ってはいませんでした。エジプトは農業技術や灌漑も発達しており、平地で農耕作にも適していました。一方、カナンの地は山地で、農業も天気に左右されることが大きかったのです。しかし、神に頼れるしかないところは逆に、神に頼れるという意味で霊的に良い土地であり、何よりも、神様が守るということを約束していることです。人の力には限りがあることを知る必要があります。
環境が私たちを幸せにするとは限りません。しかし、神様との親密な関係にある人は、環境を幸せに変えていく力が与えられます。なぜなら、全能なる主が目を留めてくださるからです。そして、何よりも霊的に新しいいのちをもって、生き生きとした歩みができるので、人生が価値あるものとなります。物質的に豊かでも、虚しい人生にならないように、主をまず、見上げましょう。

ーみことばの適用ー
自分の考えだけで効率的に生きるのではなく、まず、神に祈ります。人の理解を超えた知恵を与えてくださる神様にまず時間をささげ、神様から知恵をいただきます。

ー今日の祈りー
自分のわかることだけ満足して、分かった気になるのではなく、人の力を遥かに超えた主に頼り続けることができるように助けてください。また、このすばらしい、神様を伝えるものとさせてください。